境内案内/北海道(小樽本社・奥宮)

当社の御本社は北海道・小樽市に、東京分祠は東京都代々木に御鎮座しています。御本社は平成二十七年に被災し拝殿や鳥居等が大きな被害を受け、お祀りごとができなくなってしまいました。しかし「長く続いたお祀りの火を絶やしてはいけない」との想いから、東京に分祀を構え、社務等を行っております。現在、小樽本社で御朱印の授与等はしていただけませんので、ご注意ください。お問合せ、諸連絡等はすべて東京分祠までお願いいたします。

小樽本社

小樽本社は北海道小樽市に御鎮座しており、札幌駅からも電車で1時間程度の距離です。御本社周辺には、古代から祭祀が行われていた痕跡(遺跡等)が多く残っており、太古からこの地が特別な土地であり、聖地であったことがうかがえます。

御本社

龍神の姿ともされる御神域のフゴッペ岬(写真)です。
フゴッペ洞窟の壁画には、シャーマンと思しき鳥装の人物や海獣、魚、四足動物など200以上の線刻画が確認されております。 また、御本社のすぐ南の尾根には西崎山環状列石(ストーンサークル)があり、太古より聖地として人々の信仰の場として受け継がれてきました。

鳥居

山頂の奥宮へと続く参道の入口にある鳥居です。
古来、ここが常世と現世の結界であると考えられていて、アイヌ神話でもこの先には神霊界に通じる出入口があるという話が残されています。
冬季(11月から4月まで)は積雪のため、この先は閉鎖されます。
※平成27年11月に被災。現在、復興支援の受付中です。

奥宮

御祭神:荒波々幾大神
この場所は古代祭祀の中心地で、西崎山環状列石の尾根伝いに鎮座しております。
御祭神は縄文時代にまで遡る自然信仰の神で、龍神信仰の原初の姿であったと考えられています。
産土神・地主神として東北・関東を経て日本全土で崇敬されていたと云います。

フゴッペ岬

龍神の姿とも言われ、龍神伝説が残ります。この山そのものが御神域です。

フゴッペ洞窟

フゴッペ洞窟の壁画には、シャーマンと思しき鳥装の人物や海獣、魚、四足動物など200以上の線刻画が確認されております。また、御本社のすぐ南の尾根には西崎山環状列石(ストーンサークル)があり、太古より聖地として人々の信仰の場として受け継がれてきました。

御由緒

金吾龍神社は、北海道小樽市と余市町の境界となる西崎山の尾根(フゴッペ岬の付け根)に鎮座しております。この地は太古の昔から聖地とされ、周辺は大小100以上の環状列石(ストーンサークル)や有名なフゴッペ洞窟壁画、多数の集落や貝塚など、国内でも稀有な縄文遺跡の密集地帯として知られています。当社の創始年代は不詳ながらもかなり古く、境内地から出土した祭祀用の縄文土器などの分析から、約5000年以上前から祭祀が行われていたと推測されています。

当社はもともと社殿を持たず、フゴッペ岬を御神域とした原初的な祭祀形態で、自然崇拝が行われてきました。縄文時代の磐座信仰に始まり、中世にはチャシ(聖館)が築かれ、やがて江戸時代には神仏習合の慣習がもたらされ祠堂が設けられました。この祠堂は明治時代の廃仏毀釈運動により滅失しましたが、その後、教派神道の一派に所属し、本格的な拝殿が造営され、戦前には北海道随一の龍神神社と呼ばれて本土からも多くの参拝者が訪れました。戦後、昭和29年に北海道知事より認証を受け、後に単立の神社となりました。大自然と調和する古代からの信仰を現在に伝える古社として、多くの人々から聖地として信仰されています。

御祭神

当社の御祭神は、いずれも世界の創世や根源に関わる太古の神々です。広大無辺な御神徳をお持ちの神々であり社伝によれば、はるか縄文時代から信仰されてきました。その後、時代の移り変わりの中で御神名が変わるなどされましたが、当社では元々の御神名のままお祀りをしており、日々御神徳を称えています。

日本人(縄文人)のルーツは「北方からやって来た」という説があります。旧石器時代(約2万年前頃)に、シベリアから当時陸続きだった樺太を経由して人類が北海道にやってきたという説です。こうした人々は「自分達が信じる神様と一緒に」日本にやってきたと考えられます。また地理的に考えて大陸から渡ってくる場合、小樽は当時の北海道の「玄関口」だったと思われます。想像を絶する厳しい旅を乗り越え、新天地(日本:小樽)に着いたとき、人々は神様に感謝の祈りを捧げたことでしょう。その祈りこそ、金吾龍神社の原点です。以来、大元の龍神様をお祀りし続け、御神徳を広める活動をしています。

大元尊神(だいげんそんしん)

大元尊神は「大元」の御名のとおり、万神に先駆けて存在する「神のはじめの神」であり、宇宙世界、大自然の形成、摂理、天地万物を造化育成される最も尊い根源神であります。 万物に先立って存在し、「始まり」であり「終わり」でもある「霊性」そのものを指します。 「大元」という名は中国の老子の大元の節に基づくもので「天地に先立ち、陰陽を超え、始めも終わりもなく、宇宙のすべてに顕現する」とされます。 「陰陽(説)」とは、「宇宙の万物は全て陰と陽の二つのエネルギーで構成されている」という思想です。そこから派生した陰陽五行(説)は、「太一陰陽五行」とも言われていて、「太一(一元思想)」、「陰陽(二元対立思想)」、「五行(循環原理)」という三つの要素で構成されています。 つまり太一は最高の神であり、大元の神という考え方がここにも表れています。 また別の説では、大元尊神とは、古代インドで土着の民に信仰されていた鬼神(もしくは夜叉)の「アーラヴァカ・ヤクシャ」を漢訳したもの、とされています。 ※芦田献之氏による また一説によれば、天之御中主神、国常立尊、豊受大神と同一視されることもあり、その御姿は「龍」であるとされています。

国常立尊(くにとこたちのみこと)

最古の正史『日本書紀』において天地開闢のときに最初に現われた神です。 完成した大地を神格化した国土生成の中心的な神で、古神道では「国祖」として重視されています。御神名のうち「国」は、「天」に対して「地」を意味すると考えられています。 「常立」は、地≒国が永久に立ち続ける、不変的なものであると言われており、国土や大地の永続性・永久性を象徴している神様です。 造化三神の一柱である「天之常立神」と同一神としてみなされる場合もある神様で、神道の一部の派では、宇宙の根源神と考え重視しているほか「艮の金神」と称される場合もあるようです。 平安京が造られた際には「艮(東北)」の方向に比叡山延暦寺が配置され、都鎮守の要とされました。 これは、艮の方角が「鬼門」とされていて「悪神がこの方角から入って来る」という伝承があったからです。 時の権力者には「鬼」ともみなされながら、ある一部の人々にとっては最高神格とされた神です。

大山祇神(おおやまつみのかみ)

山を司る神で、火の神から生まれたとされています。(※) 古事記では伊邪那岐神(イザナギ)と伊邪那美神(イザナミ)の御子と記されています。 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)神話で有名な、素戔嗚尊(スサノオノミコト)の妻となる奇稲田姫(クシナダヒメ)の両親(アシナヅチ・テナヅチ)の父でもあります。 また、天孫降臨神話で瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の妻となる木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)の父でもあり、初代・神武天皇の曾祖父にあたります。 ※日本書紀の一書(異伝)によれば、伊邪那美神(いざなみ)の死の原因になった火之迦具土神(ホノカグツチ)を伊邪那岐神(イザナギ)が斬り殺したとき、オオヤマツミ、イカヅチ、タカオカミの三神が生まれたとされています。

綿津見神(わだつみのかみ)

海を司る神で、竜宮に棲む竜王・龍神といわれています。 綿とは「海」の古語、「見」は「司る」という意味で「海を司る神」という意味の御神名です。 神話では、伊邪那岐神(イザナギ)と伊邪那美神(イザナミ)が神産みをされた際、八番目に産まれ、海を司ります。 大綿津見神は海底の宮殿に住み、海幸彦(ホデリノミコト)と山幸彦(ホオリノミコト)の話に登場する神様です。古代を代表する海神族の祖神で、豊玉姫と玉依姫という二人の娘がおりました。 海幸彦・山幸彦の神話で姉の豊玉姫は山幸彦の妻となります。 山幸彦と豊玉姫の間に生まれた子(ウガヤフキヤアエズノミコト)が妹の玉依姫と結ばれ、神武天皇(カムヤマトイワレビコノミコト)が誕生します。 ※この神様とは別神がおられます。 イザナギが黄泉から帰ってきて、川で禊をした時に、 ソコツワタツミ(底津綿津見神)、ナカツワタツミ(中津綿津見神)、ウワツワタツミ(上津綿津見神) の三神が生まれました。これら三神の総称として「綿津見神」がいます。

  • 境内案内・御本社
    当社の御本社は北海道・小樽市に御鎮座しています。
  • 境内案内・東京分祠
    東京分祠は、東京都渋谷区代々木に御鎮座しております。
  • あらはばき神社
    謎多き神で、太陽、月、大地、生命力を司る龍神といわれています。
  • 龍にゃん(仮)
    金吾龍神社のマスコットキャラクターです。現在、名前を募集中です。