あらはばき神社・アラハバキ神社(奥宮)
あらはばき神社・アラハバキ神社(奥宮)
縄文時代(約2万年~数千年前)に広く信仰された太古の神「荒波々幾大神(アラハバキ大神)を祀る、最古の神社です。
アラハバキ大神は自然信仰の神で、大自然(太陽、月、大地)と生命力を司る龍蛇神とされます。
北の縄文人の象徴で、フゴッペ岬(奥宮)はその信仰の中心地として栄え、南北海道と北東北文化圏を形成し、さらに日本列島を南下していった縄文人たちによって、東北、関東、中部、東海、近畿地方へと広がり、また、北陸から山陰・山陽へと広がっていったとされます。
また、南方より伝来した龍蛇信仰とも融合しながら、日本全土で崇敬されました。
やがて、本土(北海道以外)では弥生時代に稲作や渡来文化が伝わり、新たな信仰の広がりとともに、各地の神社の主祭神には別の神が祀られるようになり、アラハバキ信仰は徐々に姿を消してゆきます。
その後も、度重なる歴史の移り変わりを経る中で、御祭神の変更や合祀が進み、アラハバキとはいかなる神であったのか、その存在すらも忘れられた存在となっていきました。
しかし、北海道には中央政権からの影響が少なかったこともあり、当社におけるアラハバキ神社の祭祀は、その後も継承されていくことになりました。
中世(本土がおよそ室町時代)には神仏習合の信仰を背景に祠堂が祀られ、「おおもとみや」「あらばきさま」と呼ばれておりました。
「あらばき」は「アラハバキ」が訛ったもので、龍神の御姿として伝わっています。
江戸時代には、古神道宗家の大水口氏がこの祠堂を建て直され、「大元宮」と号されました。
これが「奥宮」の淵源となります。
明治時代、北海道の開拓が本格化すると、神仏分離(神社合祀・廃仏毀釈)の影響が及ぶようになり、近隣でも御祭神の変更や合祀される神社が相次ぎました。
この混乱で「大元宮」は破壊されてしまい、さらに、古神道の禁止、宮司の世襲禁止により神社が廃絶の危機に瀕しました。
しかし、このときの宮司の機転により、すべての「御神体」は事前に避難され、滅失を免れました。
その後も「御神体」は歴代の古神道宗家大水口氏が奉斎し、現在は「東京分祠」にてお祀りされています。
御祭神:荒波々幾大神(あらはばきのおおかみ)
御神徳:大自然を司る生命力の神様で、総地主神として病気平癒の御神徳が著しい。
また、古代製鉄の神様でもあることから金運・財運の御利益があります。